こんにちは、北見尚之です。
道具、人、気候風土、それぞれに適材適所また適役それぞれの働きがある、その働きを超えることを間違いと言うのだろうと思います。しかし、現代においてはその間違いに気づかないどころか、間違っている方が正しいという風潮を見受けます。
日本最古の木造建築といえば法隆寺が有名ですが、その法隆寺や薬師寺を棟梁として復元に尽力した西岡常一さんのことが書いてある本です。西岡常一さんが主に寺社の復元から学んできた様々なことについて会話形式で話が進んでいきます。
その中で飛鳥時代の建築家がいかに自然と向き合い、優れた技法を確立していったか、その過程が書かれています。
これを読んでいるとモノづくりの歴史というのが本当に進化しているのかとても疑わしくなってきてしまいますし、むしろ退化しているのではないかとまで思えてきてしまいます。価値観にいいも悪いもないでしょうが、人間が地球に属しているという事実に背かないとするならば、今の価値観はあまりにも自然と人間とを区別しすぎているような気がしてなりません。
便利さの上での変化はもちろん重要ですし、それも革新の一つであることは間違いありませんが、重要なのは「その歴史を知っているか」ということが前提にあるか否かという点だと思います。
いろんな人が法隆寺を見にくるが、世界で一番古い木造建築だからというだけでは意味がないと著者は語ります。
われわれの祖先の飛鳥時代の人たちが建築物にどう取り組んだか、現代人の及ばない知恵と魂と自然を見事に合作させたものだということを知って見に来て欲しい、と。古いから価値があるわけではない、という言葉を何度も言われていました。
法隆寺や薬師寺に使われているヒノキは樹齢1000年を超えるものだそうです。ヒノキもすごいが、ヒノキという木が優れた木であることを知っていた飛鳥の人もすごいと西岡さんは言います。
「それでもなんです。建てるものがなくても、飛鳥の技法みたいなものはなくなりません。今の電子工業のようなむずかしいものと違いますからね。自然というものを理解さえすれば誰でもできますわ。」
本書の中にあったこの言葉が、一番印象に残っています。思考の末、技術革新に過ぎると一番肝心なものが見えなくなってくるのかもしれません。
北見尚之